投資を行っているみなさんの中でも、リーマンショック当時に投資をされていた方は少なかったかもしれません。
100年に一度と言われる世界的な恐慌が起こるような状況でしたが、世界中で借金を積み上げばらまきを行ったことで経済崩壊を防ぎました。時系列で何が起こったのかを理解してみましょう。
①1990年代後半~2000年ごろ:規制緩和と金融自由化
アメリカでは1990年代から金融業界の自由化が進みました。1999年にはグラス・スティーガル法が一部撤廃され、投資銀行と商業銀行の垣根が取り払われました。これによって銀行が証券業務に深く関与できるようになり、リスクの高いビジネスへの道が開かれました。
このころからクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)などのデリバティブ商品も急速に広がっていきました。こうした金融技術は本来リスクを分散させるためのものでしたが、逆にリスクの所在が見えなくなるという副作用も生んでいました。
② 2001~2003年:ドットコムバブル崩壊と住宅ブームの始まり
2001年、ドットコムバブルが崩壊し、株式市場は大きく落ち込みました。これに対応する形でFRB(連邦準備制度)は金利を大きく引き下げ、2003年には1%という歴史的な低水準にまでなりました。これにより住宅ローンの金利も低下し、不動産市場に資金が流れ込み始めます。
リーマン・ブラザーズもこの時期から住宅ローンを担保にした証券(MBS)や、それをさらに組み合わせたCDOといった証券化商品に力を入れはじめました。
③ 2004~2006年:住宅バブルの絶頂期
アメリカの住宅価格は急激に上昇し、「家は買えば必ず値上がりする」という幻想が広がっていきました。サブプライム層(低所得・信用力の低い借り手)にもローンがバンバン出され、「NINJAローン(無職・収入なし・資産なしでも借りられる)」と揶揄されるような無謀な貸し付けも横行しました。
リーマンはこれらのローンを集めて証券化し、投資家に売ることで莫大な利益を上げていました。一方で、リスクの高いローンを大量に抱え込む構造ができあがっていきました。
この間、FRBはインフレを抑えるために利上げを続け、2006年には政策金利が5.25%にまで引き上げられました。返済負担が増えたことで、サブプライムローンの延滞が目立ち始めました。
④ 2007年:サブプライム危機の顕在化
2007年に入ると、住宅ローンの返済が滞るケースが急増し、サブプライム専門の住宅金融会社が次々と破綻しました。代表例として、ニューセンチュリー・ファイナンシャルが破綻しています。
欧州の銀行もMBSを大量に保有していたため、パリバなどがファンドの引き出し停止に追い込まれ、世界中で信用不安が一気に広がりました。リーマンもこの時点では黒字を維持していたものの、保有資産の価値が下がり始め、財務の健全性に疑念が持たれ始めました。
⑤ 2008年前半:市場の信用が失われる
2008年3月には、同業のベアー・スターンズが資金繰りに行き詰まり、JPモルガンに事実上救済される形で買収されました。市場は「次はリーマンか?」という空気になっていきました。
リーマンは増資を試みましたが、韓国開発銀行や中国の政府系ファンドとの交渉はうまくいかず、外部からの資金調達に失敗しました。また、会計上の「レベル3資産(市場で評価しにくい資産)」が多すぎることが投資家に不信感を与えていました。
⑥ 2008年9月:破綻と金融危機の引き金
9月12日、政府と主要金融機関の間でリーマン救済の協議が行われましたが、財務省のポールソン長官は「民間で解決すべき」として救済を拒否しました。
そして9月15日、リーマン・ブラザーズは連邦破産法第11条の適用を申請し、破綻しました。負債総額は約6,130億ドルで、当時としては史上最大の企業破綻でした。
⑦ 破綻後の影響
リーマン破綻をきっかけに、世界の金融市場は一気に凍りつきました。信用市場は完全に機能しなくなり、AIGやメリルリンチなども崩壊寸前に追い込まれました。米政府は7000億ドルのTARP(不良資産救済プログラム)を発動し、各国も緊急の財政支出に踏み切ることになりました。
そしてこのときに世界同時に紙幣を大量に刷り、大量のばら撒きを行い、今の世界負債の急速に積み上がる結果に繋がったわけです。
今はリーマンショック当時よりも状況は悪いです。この理由も深く理解し、備える必要があります。
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