
2026年2月28日、米国とイスラエルはイランに対して大規模な軍事攻撃を開始し、イランの最高指導者ハメネイ師が殺害された。これに対しイラン革命防衛隊(IRGC)はホルムズ海峡付近の船舶に通過禁止を通告し、世界の原油供給の約20%が通過する同海峡は事実上の封鎖状態に陥った。本レポートでは、この一連の事態が日本の金融市場および実体経済に与える短期・中期・長期の影響を、為替、国債、株価、経済成長、物価の各側面から分析する。
米国とイスラエルは2026年2月28日、イランに対して「大規模な戦闘作戦」を開始した。イスラエルは数十の軍事目標を狙った攻撃を実施し、中東メディアはイラン南部の小学校への空爆で85人が死亡したと報じている。この攻撃により、イランの最高指導者ハメネイ師が殺害されるという歴史的な事態に至った
。
トランプ大統領はイランの核開発阻止を攻撃の名目としたが、両国は核開発を巡る交渉を続けている最中であり、イラン側には譲歩の姿勢があったとされる中での攻撃には唐突感もある。トランプ大統領はイラン国民に対して「政府を掌握せよ」と呼びかけており、今回の攻撃が反米国家の体制転換を狙ったものであることを示唆した
。さらに、英メディアの取材に対し、攻撃が今後4週間程度続く可能性を示唆している
。
なお、米国防総省当局者は連邦議会関係者に対する非公開のブリーフィングで、イランが米軍への先制攻撃を計画していたことを示唆する情報はなかったと認めた
。
2025年6月にも米軍はイランの核施設3か所に限定した攻撃を実施したが、今回はそれをはるかに上回る規模であり、イランもイスラエルに加えてUAE、バーレーン、カタールの米軍基地を報復攻撃するなど、中東全域に紛争が拡大するリスクが高まっている
。
攻撃開始後、イラン革命防衛隊(IRGC)はホルムズ海峡付近の船舶に対して通過禁止を通告した
。これにより、ホルムズ海峡は少なくとも一時的には事実上の封鎖状態となった。保険会社がホルムズ海峡通過船舶への保険引き受けを停止したとの報道もあり
、タンカーが同海峡を避け始めている
。
ホルムズ海峡は、ペルシャ湾とインド洋を結ぶ全長約100マイル(161km)の海峡であり、最も狭い部分の幅は21マイルにすぎない。2024年にはサウジアラビア、イラク、クウェート、UAE、イランから日量約1,650万バレルの原油とコンデンセートがタンカーで同海峡を通過しており、これは世界の原油供給の約20%に相当する
。
ただし、イラン政府が正式にホルムズ海峡の封鎖を宣言した事実はなく、イラン自身も石油輸出をホルムズ海峡の通過に大きく依存しているため、長期間の完全封鎖に踏み切る可能性が高いとは断言できない。イランは過去にホルムズ海峡を封鎖したことがなく、前例がないことが予測を困難にしている
。
週明けの2026年3月2日、東京株式市場は大幅な下落で取引を開始した。日経平均株価は一時1,500円以上の値下がりを記録し、中東情勢の緊迫化と原油価格急騰を背景としたリスク回避(リスクオフ)の売りが膨らんだ
。ロイターは同日の日経平均の予想レンジを57,000円〜58,000円としていた
。
指標変動備考日経平均株価一時1,500円超の下落中東リスク・原油高を嫌気日経平均予想レンジ57,000〜58,000円ロイター予想
ただし、一部の市場関係者は「イラン有事は短期ショックであり、世界的な株高の流れは不変」との見方を示している
。2025年6月の前回攻撃時も、攻撃が短期間にとどまったことで市場への影響は限定的であった。今回も紛争が短期間で収束すれば、株式市場は比較的早期に回復する可能性がある。しかし、紛争が長期化し、市場のリスクオフ機運が強まれば、信用取引の買い残(約1兆ドルの米国市場、約9兆円の日本市場)の巻き戻しが急落を加速させるリスクも指摘されている
。
外国為替市場では、複数の力学が同時に作用する複雑な展開となった。
第一に、「有事のドル買い」が強まり、円は対ドルで下落した。3月2日の東京市場で円相場は一時1ドル=157円台まで円安が進行した。これは2月9日以来の水準である
。市場関係者は「短期的に158円近辺まで下げる場面がありそうだ」との見方を示している
。
第二に、円は伝統的な安全通貨としての側面も持つ。ロイターによれば、ドルは一時155.85円まで下落する場面もあり、リスク回避の円買いとドル買いが交錯する展開となった
。
為替指標水準方向性USD/JPY155.85〜157円台有事のドル買いで円安方向が優勢短期見通し158円近辺円安加速リスク
中期的には、原油価格の高騰が日本の貿易赤字を拡大させるため、構造的な円安圧力が強まる可能性がある。
安全資産とされる日本国債は、投資家の資金逃避先として買われ、利回りは急低下した
。地政学リスクの高まりにより、株式から債券へのリスク資産の入れ替え(フライト・トゥ・クオリティ)が進んだ形である。
日本銀行の金融政策についても、野村総合研究所の木内登英氏は「景気の下振れリスクの高まりを受けて、追加利上げにより慎重にならざるを得ないだろう」と指摘しており
、利上げ期待の後退も利回り低下に寄与している。
3月2日月曜日の取引開始後、原油価格は13%以上急騰した
。ホルムズ海峡での船舶運航の混乱が直接的な要因である。米戦略国際問題研究所(CSIS)の試算では、ホルムズ海峡の封鎖などで原油供給が数週間途絶した場合、北海ブレント原油の先物価格は1バレル=90ドル超に跳ね上がるとされている
。
野村総合研究所(NRI)の木内登英氏は、イラン情勢を受けた今後の原油価格について3つのシナリオを設定し、内閣府の「短期日本経済マクロ計量モデル(2022年版)」を用いて日本経済・物価への影響を試算した
。
シナリオWTI原油価格想定原油価格上昇率実質GDPへの影響(1年間)物価への影響(1年間)楽観:軍事衝突が限定的77ドル/バレル+14.9%-0.09%+0.16%ベース:衝突激化・長期化、ホルムズ海峡の原油輸送に支障87ドル/バレル+29.9%-0.18%+0.31%悲観:中東全域に拡大、ホルムズ海峡完全封鎖140ドル/バレル+109.0%-0.65%+1.14%
(出所)内閣府の「短期日本経済マクロ計量モデル(2022年版)」のシミュレーション結果より野村総合研究所作成
ベースシナリオ(原油87ドル/バレル)のもとでは、日本の実質GDPは1年間で0.18%押し下げられ、物価は0.31%押し上げられると試算される。悲観シナリオ(140ドル/バレル)では、GDPが0.65%押し下げ、物価が1.14%押し上げとなり、日本は景気悪化と物価高騰が共存するスタグフレーションの様相を強め、景気後退に陥る可能性が生じる
。
日本は原油輸入の94.0%を中東地域に依存しており(2025年貿易統計)、それに用いられるタンカーの8割がホルムズ海峡を通過する
。このため、ホルムズ海峡の機能不全は日本のエネルギー供給に直接的かつ深刻な影響を及ぼす。
ベースシナリオにおける具体的な影響は以下の通りである。
項目影響ガソリン価格約3割上昇、レギュラー平均1リットル200円超電気代・ガス代半年〜1年で1割超の上昇ガソリン暫定税率廃止の効果原油高騰により消失中小・零細企業コスト上昇の価格転嫁が困難、収益に大きな打撃賃金中小企業の賃上げを阻害
ガソリン価格や電気・ガス代の上昇は輸送コスト、製造コストを上昇させ、幅広い品目で価格上昇が生じる。コスト上昇の価格転嫁が難しい中小・零細企業の収益には大きな打撃となり、そこで働く従業員の賃上げを阻害するだろう
。
Bloombergも「日本のインフレ加速の恐れ」を報じており、原油輸入の約9割を中東に依存する日本の場合、2023年輸入量の約74%がホルムズ海峡を経由していたと指摘している
。
物価上昇と景気後退が同時に進行する「スタグフレーション」への懸念が高まる中、日本銀行は極めて難しい政策判断を迫られる。コメを含む食料品価格の上昇率低下によってようやく沈静化を見せつつあった物価高騰が、原油価格の急騰によって再燃する可能性がある
。
一方で、景気の下振れリスクの高まりを受けて、日銀は追加利上げにより慎重にならざるを得ない。2月の東京都コアCPIが2%を割り込んだばかりであり、原油高によるコストプッシュ型のインフレに対して利上げで対応することは、景気をさらに悪化させるリスクがある。
原油価格上昇による景気の下振れと物価上昇率の上振れは、物価高対策の必要性を再び高める。政府による飲食料品の消費税率を2年間ゼロにすることを目指す議論を後押しする可能性がある一方、物価上昇に対して迅速に対応できないという消費税率引き下げの弱点も浮き彫りになることから、給付金や給付付き税額控除の導入を急ぐべきとの議論が進む可能性もある
。
今回の事態は、日本のエネルギー安全保障における中東依存の脆弱性を改めて浮き彫りにした。原油輸入の94%を中東に依存し、その8割がホルムズ海峡を経由するという構造は、地政学リスクに対して極めて脆弱である。
長期的には、以下のような構造的な対応が求められる。
第一に、エネルギー調達先の多様化である。米国、カナダ、オーストラリア、アフリカなど中東以外からの原油・LNG調達を拡大し、特定地域への依存度を低減する必要がある。
第二に、再生可能エネルギーへの転換加速である。太陽光、風力、地熱などの再生可能エネルギーの導入拡大は、化石燃料への依存を構造的に低減し、エネルギー安全保障を強化する。
第三に、戦略的石油備蓄の見直しである。現在の備蓄水準が十分であるか、また備蓄の放出基準や手続きが適切であるかを再検証する必要がある。
ホルムズ海峡の長期的な不安定化は、エネルギーだけでなく、中東を経由する物流全般に影響を及ぼす。日本企業は、サプライチェーンの中東依存度を見直し、代替ルートの確保や在庫戦略の見直しを迫られる可能性がある。
サウジアラビアはパイプラインを利用して紅海沿岸のターミナルに輸送することでホルムズ海峡を回避した輸出が可能であり、UAEもオマーン湾のフジャイラ港まで日量150万バレルの原油をパイプラインで輸送している
。しかし、イラク、クウェート、カタール、バーレーンはホルムズ海峡を経由する以外に原油を輸出する手段を持たず、これらの国からの調達は長期的に不安定化するリスクがある。
英国の王立国際問題研究所(チャタムハウス)は、トランプ大統領が武力行使を「新常態」としていると指摘しており
、年初のベネズエラ攻撃に続く今回のイラン攻撃は、米国の外交政策における武力行使の閾値が大幅に低下していることを示唆している。
このような地政学リスクの常態化は、長期的に以下の影響をもたらす可能性がある。
第一に、リスクプレミアムの恒常的な上昇である。原油価格に地政学リスクプレミアムが恒常的に上乗せされ、エネルギーコストの構造的な上昇をもたらす。
第二に、防衛関連支出の増大である。シーレーン(海上交通路)の安全確保に向けた国際協力の強化や、自衛隊の能力向上に向けた防衛費の増額が議論される可能性がある。
第三に、国際秩序の不安定化である。ロシア外務省はホルムズ海峡の事実上の閉鎖が世界の石油・ガス市場に重大な不均衡をもたらす可能性があると警告しており
、大国間の対立がエネルギー市場を通じて世界経済全体に波及するリスクが高まっている。
分野短期(数日〜数週間)中期(数か月〜1年)長期(1年以上)株価日経平均1,500円超の急落紛争長期化なら信用取引の巻き戻しリスク地政学リスクプレミアムの恒常化為替有事のドル買いで157円台に円安貿易赤字拡大で構造的円安圧力エネルギー輸入構造の変化次第国債安全資産として買われ利回り低下日銀の利上げ慎重化で低金利継続財政出動拡大なら長期金利に上昇圧力原油13%以上急騰ベースで87ドル、悲観で140ドル調達先多様化が進めば影響軽減GDP直接的影響は限定的ベースで-0.18%、悲観で-0.65%スタグフレーション・景気後退リスク物価エネルギー価格の即時上昇ベースで+0.31%、悲観で+1.14%コストプッシュ型インフレの長期化家計ガソリン・光熱費の上昇ガソリン200円超、電気代1割超上昇実質賃金の低下、消費の冷え込み
今後の展開を見極める上で、以下の点が特に重要である。
第一に、紛争の期間と規模である。トランプ大統領は4週間程度の作戦を示唆しているが、イランの報復の規模や、ヒズボラなど代理勢力の動向によっては、紛争がさらに拡大・長期化するリスクがある。
第二に、ホルムズ海峡の実効的な封鎖の程度と期間である。イラン政府が正式な封鎖を宣言するか、また米海軍がホルムズ海峡の航行の安全を確保できるかが、原油価格の行方を大きく左右する。
第三に、イラン国内の政治動向である。ハメネイ師の殺害後、イラン国内で体制転換が進むのか、あるいは反米感情がさらに高まり軍事衝突が激化するのかによって、事態の帰結は大きく異なる。
第四に、国際社会の外交努力である。国連安全保障理事会や主要国による停戦仲介の動きが、紛争の早期収束に向けた鍵となる。
米国・イスラエルによるイラン攻撃とホルムズ海峡の事実上の封鎖は、エネルギー供給の約9割を中東に依存する日本にとって、極めて深刻な地政学リスクの顕在化である。短期的には株安・円安・債券高というリスクオフの典型的な反応が見られたが、中期的にはエネルギーコストの上昇を通じた実体経済への波及が懸念される。
NRIのベースシナリオ(原油87ドル/バレル)でも日本のGDPは0.18%押し下げられ、物価は0.31%押し上げられる。悲観シナリオ(140ドル/バレル)ではGDPが0.65%押し下げ、物価が1.14%押し上げとなり、スタグフレーションのリスクが現実味を帯びる。
長期的には、今回の危機を契機として、日本のエネルギー安全保障戦略の根本的な見直しが不可避である。中東依存度の低減、再生可能エネルギーへの転換加速、戦略的備蓄の強化など、構造的な対応が急務となっている。
[1] NHKニュース. (2026年3月2日). 「【影響・反応】アメリカとイスラエル イランを攻撃」.
[2] 野村総合研究所(NRI )木内登英. (2026年3月2日). 「イラン攻撃で高まる原油価格上昇リスクと日本経済への影響試算」.
[3] 朝日新聞. (2026年3月1日 ). 「トランプ氏『作戦、4週間くらい続く』 イラン側との交渉用意も示す」.
[5] 読売新聞. (2026年3月1日 ). 「イラン攻撃でホルムズ海峡封鎖、日本もガソリン価格や電気代…」.
[6] Kpler. (2026年3月2日 ). "US-Iran conflict: Strait of Hormuz crisis reshapes global oil markets".
[7] The New York Times. (2026年2月28日 ). "Oil Shipments in Persian Gulf Already Disrupted by Iran…".
[8] NHKニュース. (2026年3月2日 ). 「株価 一時1500円超値下がり イラン攻撃受け原油価格上昇などで」.
[9] Reuters日本語版. (2026年3月1日 ). 「今日の株式見通し=急反落、米株安と中東情勢受けリスク回避」.
[10] 東洋経済. (2026年3月2日 ). 「『イラン有事』は短期ショック、世界的株高の流れは不変だ」.
[11] 日本経済新聞. (2026年3月2日 ). 「どうなる1兆ドルと9兆円 米がイラン攻撃、焦点は株の『借金買い』」.
[12] 日本経済新聞. (2026年3月2日 ). 「円、1ドル157円台に下落 中東情勢緊迫化による原油高騰で」.
[13] 日本経済新聞. (2026年3月2日 ). 「イラン攻撃『円安加速も』『原油、需要減懸念は上値抑制』市場の見方」.
[14] Reuters. (2026年3月1日 ). "Safe-haven yen and Swiss franc gain as weekend Iran strikes…".
[15] Fidelity/Reuters. (2026年3月1日 ). "Japanese government bonds rally, yields tumble as Iran…".
[16] Reuters. (2026年3月1日 ). "Oil surges as Iran conflict disrupts Middle Eastern supply flow".
[17] Bloomberg. (2026年3月2日 ). 「日本のインフレ加速の恐れ、原油急騰-ホルムズ海峡が事実上…」.
[19] Reuters日本語版. (2026年3月2日 ). 「ホルムズ海峡の事実上の封鎖、世界の石油市場に重大な不…」.
本レポートは2026年3月2日時点で入手可能な情報に基づいて作成されています 。情勢は急速に変化しており、最新の動向を継続的に注視する必要があります。
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